大学時代よく美術館や画廊に通った。別にカッコ付けるわけでもないが、そうい
う大学だったので授業の一環として見に行った。その時は構図がどうだとか、テク
スチャーがどうのという見方をしていたように思う。大学を卒業してその延長線で
数年間は展覧会によく行った。今の仕事に変わってからはぜんぜん行っていない。
なんとなく遠ざかってしまった。
以前金沢で講義をする機会があり、始まるまでの時間を持て余していた時、ふらっ
と入った駅前のデパートで、開催されていた油絵の展覧会に足を運んだ。
新進の作家であろう?(名前を知らない。単に私が知らないだけかもしれないが・・)。
タブロー(完成された絵画作品。エチュード・デッサンなどに対していう。)と向
かい合う時、そこに描かれているモチーフよりも、作者が描いているであろう情景
のイメージが湧いてきた。いつ制作されたものかわかんないけれど、その作者がキャ
ンバスに向かっている時と、ギャラリーで私が見ている時は当然、時間的なズレが
有る。一、二ヶ月前に描かれた絵でも、何百年も前に描かれた絵でも、時を越えて
今、作者と対面することができるような気になる。なんか不思議な感じがする。
作者は体の中に湧き上がる思いを表現する。作者から切り離されたその感情は絵
の具と筆を通してキャンバスに込められる。そのまま時を経、空間を移動して私の
目の前に現れる。するとそこに込められている作者の息吹を直接感じることができ
たような気がした。そんな感覚になった。
展覧会を見る時、絵画から距離を取りぐるっと回る、すると目に飛び込んでくる
絵が何点か有る。そして一通り回ってからそれらの数点の絵をじっくり見る。昔か
らこんな見方をしていた。昔はなんとなくそれが“通”の見方だと思っていた。理
由は違うが今回も同じ様な見方をした。絵の気を感じたいからだ。絵が呼んでいる?。
凝縮された作者の「気」が目の前で解凍されていくそんなイメージだ。
整体でクライアントと向かい合うとき、その人のエネルギーを感じる、気とは少
し違う。その人の生き様が問診(カウンセリング)をしていると、ぶわーっと目の前
で解凍される思いがする。吐き出される言葉の裏(奥)にある何かに触れる瞬間が有
る。
元来、私は整体は施術をするものではなく、「二人のセッションである」言って
いる。当たり前だが一人ではできない仕事である。体を押すという行為の中で、魂
の共鳴を感じることが有る。体の奥から突き上げてくるものを感じる時が有る。そ
んな瞬間を共有できた時、整体師をしていて良かったと思う。勿論いつもいつもで
はない。年に数回のセッションである。
私たち人間は一人一人が、かけがいの無い命を持っている。苦しい時、楽しい時、
笑っている時、怒っている時すべてが生きて、命輝いている瞬間である。一人一人
の代用品っていうのは無い。すべてタブローである。コピーには無い息吹をタブロー
は発している。その輝くエネルギーに触れる瞬間、私も輝を頂戴している。
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